親の死を経験した。なんで僕が?なんで母が?僕はまだ中学生だ。あまりにも不幸だ。これから先どうしたらいいんだよ!
このような悩みにフォーカスして解決します。
正直、当時の僕は上記の悩みのように悲観していた。でも、立ち直れた。しばらくして、時間が経つと気づいたことが沢山あった。
体験談をもとに、その頃の心情や描写をなるべく鮮明にお話するので、すこし長くなっています。どうか最後までお付き合いください。
本記事では思春期に母親を亡くし、父親に育てられた僕の実話をもとに書いています。同じような境遇の中学生、高校生の少しでも参考になればと思っています。では、はじめていきましょう!
親の死から学んだ7つの気づき【13歳で母親を亡くした体験談】
今すぐに行動する気力はないかもしれない。それでも、あらかじめ知っておくべき情報をまとめました。
ヒトは簡単に死ぬ、残酷なほどに
あっさりと言っては語弊があるかもしれない。それほど、ヒトは簡単に死ぬ。
- 苦しそうだが息をしていた
- ついさっきまで目を開けていた
- 心電図は規則正しい機械音を鳴らしていた
それがどうだろう。ものの数秒後には永遠に流れる「ピー」という機械音が虚しく鳴り響く。
死に直面すると、どうしていいか分からなくなる。ヒトは、死に慣れていないし、人生で何度かしか訪れないからだ。
覚悟していても、悲しい。死ぬと解っていても、苦しい。それでも、死は残酷なほどに訪れる。
親の死の瞬間に涙は流れない
ヒトによるかもだが、僕は涙が出なかった。なぜかその時には理解できなかったが、時間が経ち思い返すと理由がわかった。
親の死を「受け入れられない」この一言に尽きる。状況が理解できないのだ。心だけが置いていかれているような感覚。
- 涙もでない
- 近づいて触ったりもしない
- 焦ったり動揺するそぶりもない
頭がエラーを起こしている。そんな感覚だと思う。不足の事態に対応できていないのだ。無音の世界で一人きりの時間を過ごす。
しばらくして、周りの家族の叫び狂ったような泣き声に気づく。そして、横たわる母の死を理解し、時間を忘れるほど泣き続けた。
その時着ていた上下黒のスウェットは今でも覚えている。なぜなら、泣きながら無意識に涙を拭っていた袖が、大量の涙によって結晶化して、あたり一面真っ白になっていたからである。
ヒトは病に侵されるとメンタルが落ち続ける
どんなにポジティブなヒトでも病に侵されると病む。これは真実だと思う。無理して強がることはできても、体は正直だからだ。
- 体力の衰え
- 免疫力の低下
- メンタルの衰弱
入退院を5回ほど繰り返していた母に、試しに筋トレを勧めてみた。中学生なりの病気への対抗だったと思うけど、今思えば馬鹿げている。
的を射る話かは置いといて、あなたは風邪を引いて寝込んでいるときに、「筋トレ」をするだろうか?答えはNOだろう。
僕が母親に勧めた筋トレとは、そういうものだ。メンタルが落ちて病んでいるときに、筋トレをしてみようなどとは到底思えないだろう。
残された家族の生き方へダイレクトに影響する
親の死はダイレクトに子供に影響する。もちろん、残された片親も。簡潔にまとめると、以下のような家庭環境に変化した。
- 姉→家事を全てする
- 兄→不良にいじめられる
- 僕→無気力と悪さに走る
あとで聞いた話だが、母が死んでからというもの、度重なるストレスやプレッシャーで、僕の父さんは首吊り自殺を何度も考えていたらしい。
とはいえ、踏みとどまってくれた。全く気付かなかった僕は情けない。いや、仕方ないのか?僕はぼくで、愛に飢えて途方に暮れていたのだから。
周りの大人・友達の視線や表情に戸惑う
僕は恥ずかしがり屋だ。だから、母親が死んで一週間ほど休んだあとの学校へは行きたくなかった。
どんな顔で友達に会えばいいのかわからなかったし、母親の死について触れるべきなのか、触れないのか?友達への接し方に困っていたのを覚えている。
以下は、僕の記憶だ。
- 友達の気を遣った発言や表情
- 先生のなんとも言えない気配り
- 親戚や母親の友人からの哀れみの気持ち
残された家族は、敏感だ。周りの空気は、正直ビミョーだった。でも、みんな気を遣ってくれているのがわかった。
僕の立ち居振る舞いで、周りの人の気遣いも減ることがわかった。だから僕は、意外とあっという間にケロッとした態度になったと思う。
親孝行する時間は待ってくれない
中学生は思春期真っ盛りだ。親孝行なんて微塵も考えちゃいない。だから、親孝行するなんて選択肢は僕の頭にはなかった。
ぶっちゃけ、今でも後悔している。これから先も、この気持ちを抱えながら生きていくのだろう。もし、まだ間に合うのなら以下は絶対にする。
- できるだけ長い時間そばにいて話す
- 感謝の気持ちを手紙に書いて読み上げる
- 抱きしめて五感で生きていることを感じる
- ビデオを撮り続けて動きや声を記録として残す
生きていることは奇跡だ。冒頭でも言ったが、ヒトは簡単に死ぬ。あっという間に。だから、気づいてほしい。
あなたの親がまだ健在なら、間に合うのなら、どれか一つでも実行してほしい。死んでからでは遅い。心はもう、届かないのだから。
母親の代わりはいない
父親だろうが姉だろうが、母親の代わりは誰にもできない。なぜかは、なんとなくわかるだろう。それほど、母親の存在は大きくて温かい。
ほんの一例だが、あなたにも似たような経験があるのではないだろうか。
- トイレが怖くていつも扉の前で待っててくれた
- 兄に盗まれた1万円を母のへそくりから補填してくれた
- 部活帰りお腹を空かせた僕に大好物の夕飯をこしらえてくれた
とくに、恐怖や不安に立ち向かうとき、いつもそばには母親がいたと思う。無条件でボクを愛し、許し、そして育んでくれた。感謝しかない。
親の死を経て未来をどう生きたらいいのか?
これからの話は”今の僕”から”過去の僕”へのアドバイスだ。つまり、大人になってからの後悔。
今すぐに”記憶”と”記録”にある思い出をバックアップしろ
ヒトは忘れる。記憶なんてものは曖昧だ。だから、データとして思い出を記録しておくべきだ。
それだけでは足りない。データもまだまだ不安定な要素だ。バックアップをしよう。手順としては、以下だ。
- 思い出を”写真”や”動画”で記録する
- カメラ(スマホ)からPCへとバックアップ
- さらにBlu-rayやSDへとコピーしておく
ここまでやって、初めて安心できる。記憶が曖昧なのもさることながら、データも一ヶ所では不安定だ。せめて、2ヶ所以上にわけて保存しておこう。
自分では気付かないうちに愛情は不足していくことを忘れるな
親の死によって、確実に愛情不足になる。コレは間違いない。ただ、どのように実生活に影響が出るのかは、人それぞれだと思う。僕の場合は以下だった。
- ひとりの時間がキライだった
- 友達よりも恋人との時間を優先していた
- 彼女に対して心のどこかで母性を求めていた
パラレルワールドがあったらなんて考えたらキリがないが、僕自身の感覚としては少なからず母親が死んだ影響は感じている。
もし、生きていたらそこまで愛に飢えることなく、違った人生だったに違いないと確信しているほどだ。それほどまでに、母親を失うということは、子供にとってとても大きな影響を及ぼすのだろう。
悲しみは乗り越えられる、ただ時間が過ぎるのを待て
親の死は、死ぬほど悲しい。だが、悲しみはやがて消える。残るのは、「親の死を受け入れた自分」だけ。
1年では消えない。5年ほど経てば泣くのを我慢できるレベルまでいける。それまでは、親の死を「いま何年何ヶ月か。」と思い返し、感傷に浸るだろう。
- 無理をしない
- とことん悲しむ
- 親の死を受け入れる
当時は、なにかにつけて「母親がいないせいだ」とか、「僕は片親だからこんな生き方なんだ」とか、すべての言い訳に使っていた。
親の死はシンプルに、悲しみだけでなく「言い訳」や「弱さ」を創り出してしまう。
さらに、親の死は孤独を加速させてくる。だからと言って、愛情を求めて誰彼かまわず体を重ねるのはもってのほかだと思う。だが、そう上手くはいかない。孤独と愛の区別は難しいから。
親の死から学んだ7つの気づき【13歳で母親を亡くした体験談】まとめ
本記事の内容を振り返ってみよう。
- ヒトは簡単に死ぬ、残酷なほどに
- 親の死の瞬間に涙は流れない
- ヒトは病に侵されるとメンタルが落ち続ける
- 残された家族の生き方へダイレクトに影響する
- 周りの大人・友達の視線や表情に戸惑う
- 親孝行する時間は待ってくれない
- 母親の代わりはいない
- 今すぐに”記憶”と”記録”にある思い出をバックアップしろ
- 自分では気付かないうちに愛情は不足していくことを忘れるな
- 悲しみは乗り越えられる、ただ時間が過ぎるのを待て
ヒトによるだろうが、少なからず思い出は忘れる。そして、思い出せなくなる。ヒトは定期的に思い出さないと、忘れていく生き物だからだ。
僕は正直、母親の声を忘れた。思い出そうとしても、目に見えないフィルターみたいなのに邪魔されて、まったく思い出せない。
父親が持っているかもしれない、昔のビデオを再生すれば聴けるのかもしれない。ただ、特別急いで聞きたいわけでもない。コレは冷めてるのかもしれない。
とはいえ、二度と思い出せない儚さは耐え難い。そうそうに、僕自身もバックアップや記憶の想起が必要なのかもしれない。
あなたの親がまだ健在で、あなたがまだまだ行動できるのなら、今のうちにしておくと良い。後悔は必ず訪れてしまうから。拙い文章でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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